2018年2月18日日曜日

池田センセイの話術

 池田大作は、創価学会という巨大組織に、昭和35年(1960年)の会長就任以来、平成22
年(2010年)、病に伏すまでの50年間も君臨し続けてきた。その動静がさだかではない現
在も、「永遠の師匠」として、組織の要としての役割を担っている。

 池田のカリスマ性を組織に浸透させるにあたって、聖教新聞をはじめとする出版物と並
んで大きな役割を果たしてきたのが、本部幹部会の衛星中継である。

 健康な頃の池田は、本部幹部会で毎回演説をし、学会員たちはそれに聞き入っていた。
池田の演説の一例を、以下に引用する。


>  SGI(創価学会インタナショナル)の各国リーダーも出席しての、全国の青年部
> 幹部会、おめでとう!(拍手)
 (中略)
>  ご存知のように、明年は「創価ルネサンスの年」と決まった。「ルネサンス(人間
> 復興)」という言葉は、不思議な魅力をもっている。心を揺り動かす新鮮な響きがあ
> る。歴史。芸術。哲学。世界。ロマン。あらゆる〝人間的〟な要素をあわせもった、
> 精神の華をイメージさせる。
 (中略)
>  一説には、今から約六百年前、十四世紀に活発になったとされるルネサンスの運動。
> それは、「停滞」から「躍動」へ、「束縛」から「自由」への大転換であった、と一
> 般的には見られている。
 (中略)
>  暗黒時代ともいわれる中世。宗教の権威は人々を縛り上げ、搾取し、自由を奪い去
> っていた。そこでは、一人の人間である前に、どの党派、団体に属しているのかが重
> んじられた。人は、個性をもった主体的な存在ではなく、いわば匿名――名前のない
> 存在であった、と。
>  ルネサンスは、そうした権威の鎖を断ち切った。迷妄の覆いを取り去った。人間に
> 自由の〝翼〟をあたえ、望みさえすれば、自分で自分の精神を高められることを教え
> た。そして、解放された「ルネサンス人」は、自由に歩き、自由に考え、自由に語り
> 始めた。世界の広さと、人間の尊厳を発見した。それが画期的な人間復興、文芸復興
> の波となり、潮流となっていった。
 (中略)
>  そして今、人間の尊厳と、世界の多様さを見つめつつ、「人間主義」の世紀を切り
> 開いていく――その新しい時代の出発点に立っているのが、学会である。(以下略)
 (『池田大作全集』第79巻より引用)


 教養を感じさせ、それなりに格調のある演説である。「自由に考え」る人間がこれを聞
けば、「宗教の権威で人々を縛り上げて搾取しているのは、いったいどの教団か」と、思
わずにはいられないであろう。

 引用の演説は、平成3年(1991年)10月27日に開催された全国青年部幹部会でなされた、
ということになっている。

 この時期、創価学会は日蓮正宗との関係が悪化していた。直接の原因は、池田大作が創
価学会の集会で、総本山大石寺の法主・阿部日顕氏を侮辱したことが、日蓮正宗側に漏れ
伝わったことだった。引用した演説から約1か月後、同年11月28日には破門に至っている。

 この危機に際して、学会幹部は「創価ルネサンス」を呼号して組織の引き締めを図った。
 演説で述べられているように、ルネサンスは教会の権威から人々の精神が解放され、よ
り自由に考えらるようになった契機とみなされている。

 言い方を変えれば、神の御心にかなう生き方から、それぞれが自由に自らの人生の目的
を追及することができるように、意識の在り方が変わったのである。ヨーロッパの歴史に
おいて、中世と近代とを分かつ分節点、それがルネサンスである。

 日蓮正宗から破門される以前、創価学会員は、創価学会と日蓮正宗の両方に所属してい
た。創価学会の幹部たちは、日蓮正宗を中世のキリスト教会になぞらえ、そこからの精神
の解放を訴えることで、学会員たちの心をつなぎ止めようとしたのである。

 だが、ほとんどの創価学会員は、ルネサンスの歴史的意義になど関心はない。上述のよ
うな話をしたところで、創価学会の現状と近代に差し掛かりつつあった時代のヨーロッパ
の状況とを重ね合わせることで、日蓮正宗との対立という危機を打破すべく、学会員たち
を鼓舞つつ求心力を高めようという、幹部の意図を理解できた者は、ほとんどいなかった
ことだろう。

 典型的な学会員という人たちは、学会幹部から「公明党に投票する人を増やせば功徳が
ある」と言われれば、F取りと称する選挙運動に奔走し、「財務をすれば何倍にもなって
福をもたらす」と言われれば、生活を切り詰めてでも金を差し出す、そういう連中である。

 要するに、あまり頭がいいとは言い難い人たちである。そんな連中に対して「ルネサン
ス云々」のご高説をぶっても、猫に小判である。

 そして、そのことを誰よりもよく理解していたのが、池田大作であった。実は、先に引
用した演説は、学会本部で「特別書籍」と呼ばれる部署に所属するゴーストライターが執
筆した原稿に過ぎない。つまり池田大作は、全集等に収録されているとおりに話したわけ
ではないのだ。

 では、実際の池田の話しぶりはどうだったのだろうか。元公明党委員長・矢野絢也氏の
著書から、池田の演説について述べた一節を引用する。


>  演説原稿は事前に、専門スタッフによって用意されている。だがそんなもの、ろく
> に読みもしない。
>  私もあれだけ毎回出席していたが、宗教的な説話を聞いた記憶はあまりない。せい
> ぜいが、「やっぱり大御本尊に祈るんだ」とか「一念の力が大事だ」といったような
> 短い言葉、キャッチフレーズを口にするくらいである。日蓮大聖人の仏法の意味がど
> うの、というような教学的に立ち入った話は、まず聞いた覚えはない。
 (中略)
>  小難しい話など一切ない。翌日の「聖教新聞」を見ると、「キリスト教の教義は」
> とか、「キルケゴールが言ったことによれば」といったような話をしたという記事が
> 載るが、それは事前に用意されていた演説原稿だ。実際、少しはそういうことも読み
> 上げていたかもしれないが、実感としてほとんど記憶には残っていない。
 (矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)


 矢野氏が述べていることは、先の演説についてもあてはまる。平成3年(1991年)10月27
日、実際に池田が語ったことを収録している書籍があるので、そこから引用する。


> 「とくに、とくに、えー、女子部。バンザイ!(笑い) バンザイさせていただきま
> す(拍手と笑い)。SGI(創価学会インターナショナル)、そしてとくに女子部。
> 大好きな女子部(笑い)。バンザイ! バンザイ! バンザイ!」
>  九一年十月二十七日。池田大作は全国青年部会に出席し、何度もバンザイを叫んだ。
> おびただしい拍手と笑いとバンザイの唱和に包まれた。
>  彼はこう続けた。
> 「情けない。日本人ちゅうのは。ま、お金儲けはうまいけども。哲学がないんです。
> 思想が、浅い。みえっぱりで、何の自分自身ももたない。これで、カナダ人のほうが
> よっぽどいい。だからもう、海外の、日本人くるとやんなっちゃうもんね。すぐに悪
> 口いって、スッパヤネ(意味不明)、批判して、これは日本人だ。日本人がいるとこ
> ろ、事故起きんの。いないところは、ガッーチリとね、深まっていく。そいで、いま
> から約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代。こういうふうに話はいかな
> くちゃなんない。……そいで、いまから六百年前、六百円じゃないよ。ライスカレー。
> 帰り食べよ。……諸君もいいことば使ってね。あのー、ビデオ撮ってんのは、うまい
> けどさ、しゃべんのが下手じゃダメだよ。ね。だから、目先のことは、こらー、出て
> けっ。何だ、そんなちっちゃいこと。人間がつく、リラッタ(意味不明)ことだよっ
> て、魂てことは消せないよ。信心は消せませんよ。大聖人は消せませんよ。どうです
> か(ハイッ)
>  ……宇宙は大きいですよ。そんなちっぽけな考え方はもう目もくれないでいきなさ
> いよ(ハイッ)」
>  これは、当日のスピーチを正確に再現した記録からの抜粋である。池田大作は終始、
> 大きな拍手と笑いに包まれていた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)


 上記を読んで、池田大作が何を訴えようとしてるのか、お分かりになる方がいるだろう
か。私には、脈絡のないことを言っているだけとしか思えないのだが……。

 「いまから約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代」に言及している点だけ
は、全集に収録された原稿と一致しているが、その部分にしても前後の文脈とつながらず、
何を言いたいのかまったく意味が分からない。

 矢野氏は前掲書で、「脱線こそ池田演説の真骨頂」と評している。おそらく池田は、ル
ネサンス云々に言及した際、聴衆に中につまらなそうな顔をした者がいたのをみてとり、
すかさず話題を転じて、「六百円じゃないよ。ライスカレー。帰り食べよ」と言ったので
あろう。

 平均的な学会員の水準に合わせて、痴的な話をできる人間は、そう多くないと思われる。
このような話を、衆人環視の状況で恥じることなくできるという点では、池田大作は稀有
な人物といえるだろう。

 いずれも東大卒である現会長・原田稔氏や、ひところ次期会長候補の筆頭と言われてい
た事務総長・谷川佳樹氏などの高学歴な学会幹部には、池田のような話で学会員たちの心
をつかむことなど、できそうもない(最初に引用したような文章ならば書けるだろうが)。

 池田センセイの話術に魅力を感じる人にとっては、創価学会は居心地のいい居場所にな
るかもしれない。

 だが、創価学会の中でも二世、三世の割合が増え、若い世代の中には、高学歴の者も一
定数いるはずである。そうしたそれなりの教養を身につけた者が、いくら福子として幼少
から洗脳を受けてきたとはいえ、上記のようなバカげた話をする人間を、いつまでも生き
仏のように崇め続けることができるものだろうか。

 創価学会も、少子高齢化が進んでいるそうだが、座談会や本部幹部会の中継――昨今で
は昔の池田演説の録画を放映することもあるらしい――には、若い世代の学会員は出たが
らないので、実際の割合よりも若者の出席者は少なく、さしずめ敬老会の如き様相を呈し
ているとも聞く。

 池田大作は、高学歴のゴーストライターを利用することで、自らを優れた知識人である
かの如く演出してきたが、そうした見せかけに騙される人間は、インターネットが普及し
た現在、学会員の中からも減りつつあるのかもしれない。

2018年2月11日日曜日

ピアノと写真、そして執筆活動

 当ブログでは以前、池田大作がピアノをたびたび演奏し、聴衆であった学会員たちを感
激させてきたが、実はそれは電子ピアノによる自動演奏だったという、噴飯ものの逸話を
紹介した(「池田大作への個人崇拝の実態」参照)。

 宗教団体の指導者である池田が、なぜ信者の前でピアノの腕前を披露する必要があった
のか、訝しく思っていたのだが、先日、図書館で古い雑誌記事を閲覧していて、その疑問
への答がみつかった。


>  ある日、海外の信者を集め、お山(大本山大石寺)で勤行をしたときのこと、G・
> ウィリアムズ氏(アメリカ創価学会理事長、日本名・貞永昌靖)がピアノを巧みに弾
> いた。聴いていた信者の間から、
> 「つぎは池田先生お願いします」
>  という声があがった。見事なウィリアムズ氏のピアノのあとに下手な池田名誉会長
> のピアノを聴いて笑ってやろう、などという意地の悪い声ではない。本心から池田名
> 誉会長もピアノが上手と信じ切っている信者たちの頼みである。結局、このときは電
> 気ピアノを持ってきて、池田名誉会長は弾く真似をしてつじつまをあわせた。
 (「週刊文春」1980年6月19日号より引用)

 ※ G・ウィリアムズ(貞永昌靖)氏は、日系人ではなく日本人。昭和32年(1957年)
  頃、留学のために渡米し、その後、創価学会の米国布教に功績をあげた。


 創価学会では「師弟不二」ということがいわれる。ウィリアムズ氏が達者にピアノを演
奏したのを聴いて、学会員たちは「その師である池田先生も、ウィリアムズ氏と同等もし
くはそれ以上のピアノの腕前なのは当然」と、思ったのであろう。

 池田大作は、東京都大田区の貧しい海苔養殖業者の家に生まれ育ち、幼少時から家業の
手伝いをしなければならなかった。当然、ピアノを習い覚える機会などなかった。

 それに、そもそも宗教指導者である池田が、ピアノの演奏などする必要などどこにもな
い。だから正直に、「私はピアノは弾けません」と言えばすんだことだと思われる。

 しかし、実際に彼がとった行動は、電子ピアノの自動演奏を利用して弾けるフリをする
という、子供だましの詐術だった。しかも、それがうまくいったことに味をしめ、その後
も同じことを繰り返したというのだから、呆れかえるよりほかない。

 池田大作という御仁は、一事が万事この調子である。「仏法は勝負」が口ぐせというだ
けあって、「オレは本当はすごいんだぞ。オレをバカにするな!」という思いを、行動で
示さずにはいられない性分と見受けられる。

 負けん気の強さを克己心という形で発揮し、努力研鑽して技能を身につけたり、成果を
上げたりする人物であれば、称賛されることもあるだろうが、池田大作のやってきたこと
は、他人にしてもらったことを自分の手柄として公表するというペテンばかりだから、池
田本人も、その池田を「永遠の師匠」と呼ぶ創価学会も、世間から認められないのである。


 池田センセイには、ピアノ演奏以外にもプロ級の腕前の趣味として、写真撮影が知られ
ている。センセイが撮影された写真の展覧会を「ガンジー・キング・イケダ展」と称して、
国内外で開催されるほどである。

 その撮影の技量は超人的である。はた目から池田センセイが撮影される様子を見ている
と、センセイはカメラのファインダーを覗くこともなく、適当にシャッターを切っている
だけのようにしか見えない。

 それでいて、現像された池田センセイの作品は、手ブレもピンボケもなく、構図を計算
し、シャッターチャンスを狙って撮ったかの如く、見事な出来映えなのだという。人呼ん
で「心眼写真」というのも納得である。

 当たり前のことだが、「ガンジー・キング・イケダ展」などで展示される写真は、池田
大作が撮影したものではない。池田に随行している聖教新聞のカメラマンが撮影したもの
を、池田の作品として展示しているのだ。本当にプロが撮った写真なのだから、プロ級の
出来映えなのは当然である。

 池田のやり方は、「趣味」であるピアノやカメラだけでなく、「本業」である執筆活動
も同様である。創価学会本部には「特別書籍」というセクションがあり、そこに所属する
ゴーストライターが、池田大作の名義で発表される文章のほとんどを執筆している。


>  昭和四十年、池田大作は富士短期大学に入学し、二年間在学したことになっている。
> だが、受講もせず、卒業試験も受けず、卒業論文を提出するだけで卒業の資格を与え
> られた。こんなことを許した大学側もいい加減なものだが、金の力でこんなインチキ
> をして〝短大卒〟の経歴を買った池田大作も、ペテン師といわれても仕方あるまい。
> そして、その卒業論文も、池田大作が自分で書いたものではなく、すべて、桐村泰次
> 氏(東大卒。原島嵩氏とともに池田大作のゴーストライターを務める。副会長)が代
> 作したものである。太作が大作になり、大作が代作で大学卒の資格を取るなんて、こ
> れまた下手なシャレのような話である。
>  池田大作は、『小説人間革命』をはじめ、おびただしい著作をこなし、また、数々
> の講演を行なってきた。全部、代作だが、彼はそれを、あくまで自分が自ら書いたよ
> うに見せるため、原稿用紙に書き、そのコピーを幹部に配った。
>  だが、『小説人間革命』は、篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで
> 小説を書いたことがある。学会総務、外郭会社・東西哲学書院社長。同社は、東京信
> 濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開して
> いる学会外郭の最大手の一つ)の完全代筆であり、その他の書物、講演も、すべて
> 〝特別書籍〟とよばれるゴーストライター群の代作である。特別書籍は、原島嵩氏を
> キャップに、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(前出)、野崎勲(京大卒、同)、
> 石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成され、文字通り「池田
> 大作著作工房」であった。その後、原島嵩氏は造反したし、人の出入りはあったが、
> 代作師団は今も健在である。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)

 ※ 池田大作が出生時に付けられた名は「太作」だった。昭和28年(1953年)、25歳の
  時に「大作」に改名している。


 池田大作という男は、何もかもがウソで塗り固めたような人間である。これほどまでに
虚像と実像の乖離がはなはだしい人物は、そうザラにいるものではない。

 しかも、そのことごとくが何十年も前に暴露されているにもかかわらず、失脚すること
もなく、創価学会の内部ではいまだに絶対的な権威であり続けている。池田大作の存在が、
創価学会がいかに世間の常識から逸脱した、特異な集団であるかを証明しているといえる。

 池田の如きインチキ野郎を、生き仏のように崇める学会員の心理は、一般人にはとうて
い理解できないであろう。

 また、創価学会員の多くが「さすがあの池田大作を師匠と仰いでいるだけのことはある」
と、言わざるを得ないような方々であるのも、残念ながら事実である。

 学会員だけで閉鎖的なコミュニティーをつくり、外部との関わりを断ってくれれば、害
はないかも知れないが、連中はいたるところで強引な勧誘を繰り返して軋轢を生み、それ
のみならず「総体革命」と称して権力に浸透し、その私物化をもくろんでいる。

 池田大作のバカげた逸話の数々を、ただ笑ってばかりいるわけにはいかない、深刻な社
会問題が、創価学会というカルトには付随しているのである。

 一人でも多くの学会員が、「偉大な指導者」としての池田大作の虚像は、捏造されたも
のに過ぎないことに気づき、マインドコントロールから解放されてほしい。そして、創価
学会が行ってきた、反社会行為の数々を直視してほしいものである。


補足

 池田大作が電子ピアノの自動演奏で、ピアノ演奏ができるフリをして学会員を感動させ
たという逸話は、週刊誌等で取り上げられたこともあって一般にも知られるようになり、
この愚行は世間のもの笑いとなった。

 これにはさしもの池田も堪えたのか、その後、ピアノを練習したという話もある。だが
その腕前たるや、小学生低学年レベルらしい。
 しかもそのひどい演奏を、信濃町の学会本部でBGMとして流すこともあるという。

 どういうつもりか理解に苦しむが、そのような醜態をさらして世間体を取り繕うくらい
ならば、本文でも述べたように、最初から「ピアノは弾けません」と言っていた方が、よ
ほどマシだったのではないか。

 池田大作にしろ、創価学会にしろ、ドロナワ式の拙い対応で、かえって傷口を広げた例
が多い。創価学会のこうした体質は、池田亡き後、変わってゆくのだろうか。

2018年2月4日日曜日

日蓮と真言宗と池田大作

 ※ 今回は日蓮遺文(古文)からの引用多め。

 池田大作は、19歳の時に折伏を受け、創価学会に入信した。その出来事についての池田
の述懐を、以下に引用する。


>  終戦の反動でなにかやりたいという気持があって、学校時代の友人にさそわれて創
> 価学会の本部へいきました。その友だちは哲学のいい話があるあるがこないか、とさ
> そったのです。私は友人と二人で行ったのですが、三、四〇人もいたでしょうか。五
> 時間くらいもそこで締めあげられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずい
> ぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってし
> まったのです。
 (小口偉一 他著『宗教と信仰の心理学』より引用)


 この「学校時代の友人」というのは女性で、池田は彼女に好意を寄せていた。池田を五
時間も締め上げて入信させたのは、当時の教学部長・小平芳平氏である。

 『人間革命』には、池田(がモデルの山本伸一)が、戸田城聖による『立正安国論』の
講義を聴いた後、即座に入信を決め、即興で自作の詩を詠じたと書いてあるが、それは作
り話である。

 若い女性で釣って折伏座談会に呼び出し、何時間も締め上げて入信を迫るというのは、
今でもありそうな話である。若き日の池田も、よくある手口に引っかかってしまったのだ
ろう。女好きの池田らしい逸話である。

 さて、創価学会では、新規に入信した者は自分の家族を折伏し、学会に引き入れること
が求められる。だが池田は、真言宗の信者であった父・子之吉氏から勘当され、親族の折
伏に失敗した(子之吉氏が死去した際の葬儀も、真言宗僧侶を招いて行われた)。

 この点について、山崎正友氏や福本潤一氏などの脱会者は、批判的な意見を述べている。
 しかし、私はこの一点についてだけは、池田を擁護したい。

 なぜなら、この件に関して池田は、創価学会の教義である「御書根本」に基づいた行動
を取っているからである。訝しまれる方もいると思われるので、関係する日蓮遺文『撰時
抄』から一部引用する。

 ※ 『撰時抄』は建治元年(1275年)、つまり文永の役(1274年)の翌年、弘安の役
  (1281年)の六年前に執筆された文書で、真言宗の妥当性についての日蓮の見解や、
  元寇に関しての予言などが述べられている。


>  提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば、大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅王は師
> 子尊者の頭を切りしかば、右の手刀とともに落ちぬ。徽宗皇帝は法道が面にかなやき
> をやきて江南にながせしかば、半年が内にえびすの手にかかり給ひき。蒙古のせめも
> 又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともか
> なうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。されば日蓮が法華経の行者に
> てあるなきかはこれにて見るべし。
 (中略)
>  今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行なひ候へば、日
> 本かちて候ならば真言はいみじかりけりとをもひ候ひなん。
 (中略)
>  いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下
> 万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙
> 法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房
> とさけび候はんずるにや。
 (中略)
>  殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古を調伏せん事真言師
> には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此
> の国ほろぶべし


 私事で恐縮だが、「たすけ給へ日蓮の御房」の一節を読んだ時、私は微苦笑を禁じえな
かった。謹厳で排他的な宗教家と思われがちな日蓮だが、このようにユーモラスな一面も
持ち合わせていたのだ。

 さて、当時の朝廷や幕府が、全国の寺院に敵国調伏の加持祈祷を依頼したこと――当然
のことながら、加持祈祷をもっぱらにするのは真言僧である――を日本史で習った方も多
いと思う。

 弘安の役の結末を知る現代の我々は、「日蓮が法華経の行者にてあるなきか」を判断で
きるし、無論、どちらが勝ったかも知っている(真言師による加持祈祷の結果か否かはと
もかくとして)。

 これで池田大作が、真言宗の父親を折伏できなかったのは、「御書根本」を実践した結
果だとご理解いただけたことと思う。彼は「真言はいみじかりけり」との、大聖人の御金
言に信服していたのである。

 この『撰時抄』には、日蓮の真筆が現存している(玉沢妙法華寺蔵)。創価学会版『日
蓮大聖人御書全集』にも収録されている(P-256~292)。

 創価学会では「御書根本」以上に、「師弟不二」が重視されていると聞く。学会員の皆
さんが、池田センセイを師匠と仰ぐのならば、上述したセンセイの姿勢を見習われて、強
引な折伏などやめられた方がよいのではないだろうか。

 参考文献:溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』


補足1

 上記は、以前2ch(現5ch)に書き込んだ文章に、若干の手を加えたものである。
 引用した『撰時抄』には、他にも興味深い記述がある。例えば次の一節である。


>  二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は
> 日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり。只今に自界反逆難とてどし
> うちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけど
> りにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等
> が寺塔をばやきはらいて、彼等が頸をゆひのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべ
> しと申し候ひ了んぬ。

 ※ 文中の「平左衛門尉」は、日蓮と直接やり取りした鎌倉幕府の下級官吏。


 日蓮は「一切の念仏者・禅僧等の寺塔を焼き払い、彼らの頸を由比の浜で切れ」と、幕
吏に向かって言ったと述べているのである。

 文永8年(1271年)9月12日は、日蓮が『立正安国論』を鎌倉幕府に再提出した日である
(一度目は文応元年(1260年)に提出)。文書提出とほぼ時を同じくして、日蓮は捕縛さ
れ、その夜、斬首されそうになっている(竜の口の法難)。

 日蓮は、処刑を免れたものの、伊豆への流罪に続く二度目の流刑となり、佐渡島に流さ
れた。過激な言動が難を招いたのであろう。

 日蓮は二度の流罪の他にも、念仏者から一度ならず迫害を受け、重傷を負ったこともあ
った。何度も辛い思いをしたことが、彼に激越な言葉を吐かせたのかもしれない。そう考
えれば、日蓮の主張に賛成はできないものの、心情に共感することならばできなくもない。

 私自身、創価学会員から何度も煮え湯を飲まされ、「学会員は全員この世から消えた方
がいい」と思ったことがあるので、日蓮を批判する資格はないと思う。

 それでも、宗教者・仏教者として、日蓮の発言はいかがなものかと、思わずにはいられ
ないが……。


補足2

 日蓮系伝統宗派の関係者の中には、本稿を読まれて、不愉快になった方もいらっしゃる
ことと思う。

 誤解のないよう申し上げるが、私は日蓮宗をはじめとする日蓮系宗派も、伝統宗教とし
て社会的意義を有するものと考えており、その信仰を否定するつもりはない(日蓮正宗は
カルトなので、有意義だとは思わないが)。

 上記のような文章を書いたのは、相応の理由があってのことである。
 創価学会は、現在もなお強引な勧誘を続け、多くの人を苦しめている。

 不幸にして標的となった人を言葉巧みにおびき寄せ、大勢で取り囲み、その人が真言宗
の信徒であれば、「大日如来の存在を証明できるのか。存在を証明できないものを信仰す
るのは間違っている」などという屁理屈で言い負かし、入信を強要している(浄土系宗派
の信徒に対しては、「阿弥陀如来の(以下略)」とやる)。

 言い負かされて新規入会者となった人には、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』を買わ
せ、「創価学会の信仰が気にいらないのであれば、この御書の間違いなり、矛盾なりを指
摘しろ」とやる。こうしたやり口に泣き寝入りしている被害者は少なくない。

 先祖代々その宗旨だったというだけで、熱心に信心しているわけでも教義に詳しいわけ
でもない普通の人達を、創価学会は無体なやり方で折伏しているのである。

 悪質な人権侵害であることは明白だが、各所に浸透した創価学会員による隠蔽工作が功
を奏しているのか、マスコミが報じることはない。
 本稿が、邪悪なカルト・創価学会から被害を受けた方の一助になることを願っている。

2018年1月28日日曜日

第四代会長・北条浩氏について

 創価学会の会則では、初代から第三代までの会長を「永遠の師匠」と定義しているが、
このうち存命中なのは第三代会長の池田大作のみであり、創価学会員たるもの、池田を疑
うことなく信じ、その指導を実践すべきだとされている。

 弟子はどこまでも師に忠実であるべきとするこの教義は、「師弟不二」という言葉で表
現され、信仰の中核に位置づけられている。

 その「師弟不二」を文字通り実践し、そのために池田大作の犠牲になった人物として、
多くの造反者が挙げるのが、第四代会長・北条浩氏である。

 北条浩氏は、戦国大名として知られる北条氏の末裔であり、旧華族出身という創価学会
では珍しい、正真正銘の貴種である。先祖代々、日蓮正宗の門徒であったことが、学会に
入ったきっかけらしい。

 北条氏は、池田が日蓮正宗との抗争に敗れて名誉会長に退いた際に、第四代会長に就任
した。この時、北条氏らの新執行部は「池田先生を永遠に師匠と仰ぎます」との誓約書を
池田に提出させられたという。

 北条氏は、温厚篤実な人柄で知られ人望があったが、池田に対しては絶対に服従してき
たことから、傀儡としてうってつけだったのだろう。北条氏の人柄について、元副会長の
福島源次郎氏はこう述べている。


>  この北条さん程「先生」に真心で仕え忠誠を尽くした人を知りません。清廉の人・
> 私心のない人・誠実な人格者でした。熱血の人であり、「先生」を守るという一点に
> 全てを賭け、泥をかぶって「先生」に献身した人です。私達は、弟子の鏡として尊敬
> してきました。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 北条氏は、具体的にはどのような形で「泥をかぶって」池田に献身したのだろうか。そ
の一端をうかがわせる記事を、以下に引用する。


> 「東京・小平市に住む古くからの学会員の娘さんが、池田さんに妊娠させられたとい
> うんです。で、学会から北条さん(現会長)が二百万円持って謝りに来た。親が怒っ
> たところ三百万円上積みして、示談にして堕ろしたらしい。去年の春だっていうんで
> す。
>  立川の文化会館の三階には会長専用の部屋があって、一昨年十一月ごろから一カ月
> そこに閉じこもったことがある。実は、問題の娘さんは創価高校の二年生でグレてい
> た。で、池田センセイが〝その娘を会館によこしなさい、意見して直してあげるから〟
> といったので、両親はありがたく娘さんを会館にやった。
>  以後一カ月、娘さんは会館から通学した。その間の出来事だろう、というんですね」
>  三代目の正々堂々とした釈明がされるまで、この手の話が全国に広がるのもやむを
> えまい。いわれていることが全部本当だとしたら、三代目の〝福運〟があまねく全国
> に行きわたっていることの証明にもなろうか。
 (「週刊新潮」1980年6月19日号)


 創価学園の創立者として、学園の生徒の一人である不良少女を立ち直らせようとの池田
センセイのご指導が、如何に「福運」に満ちたものだったかを窺わせる話である。

 北条氏は創価学会のナンバー2ではあったものの、実際にやらされていた実務の中には、
こうした池田がしでかした不祥事の尻拭いも相当に含まれていたのである(その他にも共
産党へのスパイ行為や、日蓮正宗に対する謀略にも関わっていた。これらについては、別
の機会に論じたい)。

 その他にも北条氏は、池田大作への忠誠心のお手本を、一般会員に示す役割を担わされ
ていた。

 ある時、池田は自分が食べ残したうどんに、真っ赤になるくらいの唐辛子を振りかけて、
それを他の学会員の前で北条氏に食べさせた。北条氏は汗だくになりながらも、「おいし
いですね」とそれを平らげた。

 創価学会の元教学部長・原島嵩氏によると、それを見たある学会員は「何とうるわしい
師弟愛だろうか、真実の弟子はかくあらねばならぬ」と、のたまったという(『誰も書か
なかった池田大作・創価学会の真実』による)。

 私には、パワハラとか、気色悪いとしか言いようがないが……。しかもこのようなこと
は、一度だけではなかった。別の時には、食べ残したカレーに大量のコショウを振りかけ
たものを食わされたこともあったという。

 さて、池田の食べ残しを何度も食わされ、「福運」とやらをたっぷりとつけていただい
た北条氏がどうなったかというと、会長任期半ば、58歳の若さにして急死してしまったの
である。死因は心筋梗塞だった。

 次から次へと騒動をひき起こす池田大作の後始末に奔走し続け、心労が重なった挙げ句
の死だったのだろう。
 北条氏の葬儀での池田の言動を、元公明党都議・龍年光氏は次のように述べている。


>  昭和五十四年、池田の本尊模刻問題が発覚、細井日達上人の叱責を受け、破門寸前
> のところで名誉会長に退いた後、会長に立てられた北条浩は、池田に尽くし、池田の
> 悪行の尻拭いに追いまくられていた。遂に、疲労のあまりと思うが、昭和五十六年七
> 月に五十八歳で死んだ。非常に頑健な体質で、ご両親も長命だったのに……。池田の
> 最大の犠牲者だと、私は思う。
>  池袋の戸田講堂で学会葬が行なわれ、北条の徳を慕って、大勢の幹部が集まった。
>  ところが、池田はその大恩人の葬儀に遅れて来、入ってきたと思ったらいきなりマ
> イクを握り、歩きながら大声で、「暑いなぁ、暑いなぁ。こんな暑い時に死ぬのはや
> めようよ」といった。これには、みんな本当にア然としたものだ。
 (龍年光著『池田創価学会を解散させよ』より引用)


 この池田大作の没義道なふるまいについては、龍氏のみならず、多くの脱会者が非難し
ている。また、その後の遺族への仕打ちを、元公明党都議・藤原行正氏は次のように述べ
ている。


>  ところが、池田大作はその北条さんが亡くなると、その通夜と本葬で集まった一億
> 五千万円の香典、東京の戸田記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行
> された葬儀で集まった約二十億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の
> 金庫へ入れた。
>  それだけではない。一家の柱を失った遺族は長年住み慣れた聖教新聞社前の和風二
> 階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未
> 亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ。その後、旧
> 北条宅は一億円をかけて改築され、池田名誉会長の専用施設になっている。
 (藤原行正著『池田大作の素顔』より引用)


 創価学会で信心に励み、池田センセイとの「師弟不二」を実践し、池田から「福運」と
やらを存分につけてもらった北条氏にして、その末路はこんなものなのだ。

 創価学会で「福運」を享受しているのは、池田大作と、そのおこぼれにあずかる一部の
職業幹部だけではないのだろうか。北条氏の生涯は、まともな人生を送りたいなら、こん
なカルトとは関わるべきではない、という教訓を示唆しているように思える。

2018年1月21日日曜日

「娘に仏様の手がついた」

 池田大作の人となりを物語る逸話は数多いが、中でもマスコミが何度も取り上げ、世間
の注目を集めたのは、その常軌を逸した色狂いぶりである。

 全国各地にある創価学会の施設には、池田専用の豪華な部屋が作られており、池田がそ
こに泊まる際には、表向き「秘書」ということになっている女性二人も同行し、「奉仕」
していたとか、池田が地方に視察等の名目で訪れる際には、現地の女性学会員が性接待し
ていたとか、池田の〝お手つき〟になった女性の中には、その後、公明党の国会議員に出
世した者もいるとか、この種の話は枚挙にいとまがない。

 健康な頃の池田大作の性欲は、それこそバケモノじみたものだったのである。今回は、
池田と関係した女性の中から、特に有名な二人について述べる。

 上田京子氏(旧姓宮本)は、もともとは大手出版社に勤務していたのだが、その美貌を
気に入った池田大作が、創価学会の財力・組織力を利用して家族ぐるみ口説き、モノにし
た。元公明党都議会議員・藤原行正氏が「週刊文春」(1988年9月1日号)に発表した手記
に、そのいきさつが記されている。


>  彼女を女子部の会合で見初めた池田は、北条浩(前会長)に、「あれを本部に入れ
> よ。第一庶務にする」
>  と命令した。早速北条氏は彼女に会い、会社を辞めて、学会本部に入るように勧誘
> した。
>  しかし彼女は当時の勤務先でとても大事にされていたので、会社を辞めるとは言い
> 出しにくかった。そこで北条氏はこれも池田の指示により、宮本京子さんの父親に会
> い、
> 「会館の管理人として、一生、いや孫子の代まで衣食住の面倒を見るから」
>  と口説いたのである。
>  そうした経済的条件に加えて、
> 「池田先生は現代の仏様である。仏様にお仕えすれば最大の功徳がある。そむけば罰
> をうけることになる」
>  と暗に恫喝さえしたのである。


 「池田大作のごときエロ爺が仏のわけあるか」と言いたくなる話だが、『人間革命』等
を通じて洗脳され、池田を生き仏のように崇めている創価学会員に対しては、引用中の北
条氏の説得は効果を発揮し、宮本京子氏は学会本部に採用され、第一庶務に所属して池田
に奉仕することになった。

 その後、池田は宮本京子氏に飽きたのか、彼女を側近の一人だった上田雅一氏に、妻と
して下げ渡した(上田氏は学会本部の「特別書籍」に所属し、池田の講演原稿や書籍を代
筆するゴーストライターの一人だった)。

 ところが、結婚して上田京子になった後も、池田は彼女に身辺の世話をさせ続けた。他
の女の口紅がついた池田のパンツを洗濯させられること等について、京子氏は夫に不満を
述べ、上田雅一氏もさすがに耐えかねたのか、他の職員に池田への恨みを話したので、こ
の件は本部職員のほとんどが知るところとなったという。


 池田大作のお気に入りだった女性の中から、もう一人とりあげる。
 大島節子氏(旧姓高橋)は、その派手な振る舞いから、往時、創価学会内部で「熱海研
修所の女王」と呼ばれた女性である。

 創価学会の熱海研修所は、事実上、池田の別荘となっている施設であり、節子氏は池田
に見初められて両親ぐるみで、その管理人として採用された。

 池田大作は一時、節子氏にぞっこんとなり、熱海研修所の豪華専用施設に入りびたりに
なったという。

 上述の上田京子氏は大人しい女性だったようだが、大島節子氏は池田大作との関係を誇
示し、池田からのプレゼントを他の女性学会員に見せびらかしたりした。
 また、彼女の父親も「娘に仏様の手がついた」と、周囲に自慢した。

 やがて、「熱海研修所の女王」の存在は雑誌記者等の耳にも入り、望遠レンズを持った
カメラマンが熱海研修所の近辺に張り込むようになり、創価学会としてもスキャンダルの
発覚を防ぐために動かざるを得なくなった。

 このとき対応したのは、池田大作が大蔵商事(高利貸し)の営業部長だった頃からの腹
心、中西治雄氏である。中西氏は、聖教新聞記者だった大島光明氏を、節子氏と結婚させ
た上で栃木に赴任させ、事態の収拾を図った。

 ところが、しばらくたってほとぼりがさめると、人妻となったはずの大島節子氏は、池
田の指示で再び熱海研修所に呼び戻され、元の状態に戻ってしまった。これには中西氏も、
「何のために苦労したのかわからない」とボヤいていたという。


 池田大作の〝お手つき〟を妻とした上田雅一氏・大島光明氏は、忠誠心が認められたの
か、異例の速さで出世し、若くして副会長に抜擢された。

 だが、一人の男としては、内心忸怩たるものもあったのではないだろうか。
 藤原行正氏は、先に引用した手記に次のように続けている。


>  このように、気に入った女性に目をつけると、家族ぐるみ創価学会職員としてかか
> えこみ、第一庶務や女子部幹部にとり立てる。そして多少あきてくると側近幹部に下
> げわたし、それでも気がむけば呼びつけて、身辺の世話をさせる。その夫は議員にし
> たり、幹部にして取り立てる、というのが池田のやり方なのである。
>  もちろん中には、妊娠させた果てに、堕胎させた例もある。何代か前の女子部長が
> そうである。また、自分の子を側近幹部の子として育てさせている例もある。こうし
> た形の他にも、幹部の妻に手をつけるということも少なくない。
>  池田にとって男女関係は欲望を充たすことであると同時に、側近の忠誠心を試した
> り、プライドをへし折って自分に従わせるための手段なのである。
>  一方で女性会員の中には、池田崇拝が高じて、池田と握手すればその手を洗わない
> とか、池田が死んだら自分の命もないんだと思い込んでいるひとも、実際にいるので
> ある。


 創価学会には、信心の目的を示すものとして「永遠の五指針」というものがある。その
第一は「一家和楽の信心」とされている。

 しかし、池田大作のお下がりを妻とすることを強要されたり、あるいは妻を池田への性
接待のために差し出さざるを得なかった男性学会員にとって、「一家和楽の信心」という
言葉には虚しい響きしかないだろう。

 池田に逆らえば、地位や収入を失うことになりかねない、「仏敵」認定されてどんな仕
打ちをうけるかわからないことから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだのではある
まいか。

 脱会した元学会員の中には、池田の女漁りの醜悪さを見て幻滅した者も多いという。元
教学部長で側近でもあった原島嵩氏のように、「生理的嫌悪を感じる」と、池田本人に面
罵して去った人までいる。

 上述したような実態は、過去数十年にわたって週刊誌等が取り上げてきたのだが、ほと
んどの学会員は「そんな話は全部デマ」と思い込み、現在もなお、池田大作を「永遠の師
匠」「末法の御本仏」として崇拝しつづけている。

 現代社会ではインターネットが普及し、様々な情報が入手しやすくなった。学会員の皆
さんも、もうそろそろ洗脳から解放されて、聖教新聞等の創価学会メディアが報じてきた
池田大作の姿は虚像に過ぎないと、気づいてもよいのではないだろうか。

 もっとも「娘に仏様の手がついた」とのたまうような連中に、何を言っても無駄なのか
もしれないが……。


追記

 池田大作の女漁りに関する逸話の中で、もっともおぞましいものについては、当ブログ
で以前取り上げている。関心のある方は以下もご覧いただきたい。

 池田城久の死

2018年1月14日日曜日

虚仏への供物

 創価学会は元来、日蓮正宗の在家信者団体だった。学会員たちは、間に創価学会をはさ
む形で、日蓮正宗の信徒にもなるという形をとっていたのである。

 日蓮正宗の教義では、日蓮こそが「末法の御本仏」であり、池田大作などは一信徒団体
のリーダーに過ぎない。

 しかし、巨大教団を率いて莫大な金を集め、公明党をも意のままに支配できることに慢
心した池田は、自らを日蓮の再誕として崇拝させることで、絶対的な権力をさらに確固た
るものとし、日蓮正宗をも支配下におこうともくろんだ。そのために「池田本仏論」なる
個人崇拝を、学会内部に定着させようとした。

 多くの日蓮正宗僧侶は、「池田本仏論」を重大な教義違反と見做し、創価学会と日蓮正
宗の間に抗争が生じた。昭和52年(1977年)頃から、創価学会は会員に対して「寺院には
行かないように、お布施もしないように」と呼びかけた。

 日蓮正宗側は末端の創価学会員に対し、「今の創価学会は謗法だから、創価学会をやめ
て寺院直属の信徒になるように」と働かけた。その結果、数十万人の学会員が脱会し、日
蓮正宗直属の信徒となった。

 この時は創価学会が日蓮正宗に屈服し、池田大作は会長を辞任(昭和54年〔1979年〕4
月24日)、日蓮正宗の細井日達法主に対して、「院政をしくようなことはしない」と確約
させられた。

 以上が、日蓮正宗と創価学会との第一次抗争のおおよその顛末である。
 だが、池田はこれで引き下るような男ではなかった。同年5月ごろから復権を画策しはじ
め、折あしく細井日達法主が同年7月21日に死去したこともあり、再び影響力を行使するよ
うになる。

 もっとも、学会内部での権力を完全に取り戻すまでには、集団指導体制を望む幹部との
確執などの紆余曲折もあったようである。

 また、山崎正友氏・原島嵩氏という大幹部が造反したことや、日蓮正宗の改革派僧侶た
ちが「正信覚醒運動」と称して、創価学会なかでも池田大作の教義違背に対して厳しい批
判を続け、学会員の中にも動揺する者が少なからずいたことから、こうした動きに対して、
創価学会としても敏感にならざるを得なかった。

 以前引用した「代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代
会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならない」(『聖教新聞』昭和55年4月2日
付)という池田大作の言葉は、日蓮正宗僧侶の批判に応えて「池田本仏論」を全面的に撤
回する、事実上の敗北宣言だったのである。

 『人間革命』も改訂を余儀なくされ、「池田本仏論」につながる記述は書き改められた。
 しかし、これで創価学会から、池田大作への個人崇拝が一掃されたわけではない。形を
変えた個人崇拝復活に貢献し、その功績で出世した人物がいる。現創価学会理事長・長谷
川重夫氏である。

 長谷川氏は、創価学会本部で第一庶務室次長を務めていた昭和60年(1985年)に、副
会長に抜擢された。当時の第一庶務室長は、同じく副会長であった鈴木琢郎氏だったが、
池田大作に重用されていた長谷川氏の方が、権勢は上だったという。

 ※ 創価学会本部の第一庶務室は、池田大作の身の回りの世話や、秘書業務を担う。学
  会本部において、一番のエリート部署である。池田のハーレムに囲われている女性も
  第一庶務に所属することが多いという。

 長谷川氏が抜擢されたのは、池田大作と末端の学会員とが、直接結びつく仕組みを確立
することに貢献したからである。元公明党都議・藤原行正氏の著書から、長谷川氏の実績
について述べられた一節を引用する。


>  長谷川は副会長になる前から、池田に気に入られるために頭を絞り、池田名誉会長
> 直結運動なるものを考え出した。
>  このゴマすりアイデアによって池田大作は学会員と自分を直結させ、池田崇拝の空
> 気をさらに強固なものとした。それまで地方の幹部にとって池田名誉会長は雲の上の
> 存在であった。その彼らが本部の長谷川を訪ねると、彼の手配で池田に会える。思い
> がけず池田先生に会え、激励の色紙までもらった幹部たちは感激して帰って行く。そ
> れがこの直結運動のまず第一段階であった。
>  地元に帰った学会員は「長谷川さんの口ぞえで池田先生にお会いできた」と胸を張
> って自慢した。それが口コミで広がり、その末に「池田先生への贈り物を持って、長
> 谷川さんのところへ行けば名誉会長に会える」という情報が学会全体に定着し、地方
> 幹部たちは先を争って長谷川詣でをはじめたのである。
>  噂はさらに広まり、やがてみんなが何か持って、池田先生を訪問するのが信心の上
> からも大事なんだという風潮が学会全体に徹底され、大した役職でもない地方支部長
> や一般学会員までが本部詣でを開始した。池田は長谷川に案内されてきた彼らとにこ
> やかに応対し、学会員が持参してきた貢ぎ物を受け取る。その貢ぎ物のなかから高価
> な品だけを自分の取り分とし、残りは「先生から」として、池田詣でををした別の学
> 会員たちへの〝プレゼント〟に使うのである。
>  学会員からの貢ぎ物を右から左へ流しただけで、池田は「江戸っ子で気前のいい名
> 誉会長」という一般会員からの尊敬を高めたわけである。
>  五十九年後半から活発化した、この池田詣で現象はあらためて学会における池田大
> 作の存在感を内外に宣伝する大きな効果を生んだ。その功績で長谷川は副会長ポスト
> まで引き上げられ、池田は何もしないで学会員と直結するシステムをつくり上げるこ
> とに成功した。その上で、池田は幹部全員の揃った場所で長谷川を褒める。
> 「長谷川は学会のことをよくわかっている。会員と私を直結させようというのはいい
> やり方だ」
 (藤原行正著『池田大作の素顔』より引用)


 長谷川氏はその後、第一庶務室長に昇進し、その職を長く務めた。
 『池田大作の素顔』が出版されたのは、平成元年(1989年)のことだが、創価学会員に
よる信濃町の本部詣では、今でも盛んに行われており、池田大作への貢ぎ物を扱う専門の
建物まで信濃町にはあるという。創価学会総本部「広宣流布大誓堂」の北隣にある「接遇
センター」がそれである。

 元公明党委員長・矢野絢也氏の著書から、比較的最近の状況を描写している一節を引用
する(矢野氏が創価学会を脱会したのは平成20年〔2008年〕であり、批判本の出版はその
翌年からなので、以下の情景は、少なくとも今世紀に入ってからも該当する出来事と思わ
れる)。


>  何かの記念日があれば、地方の会員は大挙して東京に馳せ参じる。
>  たとえば五月三日は池田氏の会長就任記念日でもあり、「創価学会の日」として何
> よりも大切な日である。こうしたとき、地方本部は会員に対して、
> 「東京へ行って池田先生にお礼を差し上げよう」
>  という呼びかけを何度も行う。何人東京へ送り出したかで県の幹部の「勤務評定」
> が決まるため、彼らとしても必死だ。自分の担当組織で一人一万円ずつ、といったよ
> うに寄付を集め、何人かを引き連れて上京する。
>  新宿区信濃町の学会本部周辺には、学会関連の会館が林立している。それらの会館
> の前にはテントが張ってあり、「接遇班」の人間がズラリと並んでスタンバイしてい
> る。上京してきた会員たちは集めてきた寄付に、手紙やお菓子などを添えて彼らに渡
> す。班員は彼らの名前を聞いて、一人ひとり記録する。「ご苦労様でした」というこ
> とで記念品が手渡される。
 (中略)
>  寄付を終えた地方会員は本部周辺の会館を案内され、各会館の仏間でお題目を唱え
> て、
> 「ああ今日はよかった。いい日だった」
> 「池田先生と気持ちが通じた」
>  と満足して帰っていく。実際に会ってはいなくとも、気分としては池田氏と身近に
> 接したも同然なのであろう。池田氏にお礼を差し上げ、記念品をもらったことで、心
> と心が触れ合った心地になる。
>  このようにあの手この手で、会員一人ひとりが池田氏との連帯感を持てるような仕
> 組みが構築されている。彼のカリスマ性を現場に浸透させ、根づかせるための、幾重
> ものシステムが築き上げられているのである。
 (矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)


 本部詣でをする末端学会員に対し、池田大作が面会することは、現在では不可能だろう
が、それでも〝池田先生との絆〟を演出する工夫がなされ、池田大作は今なお一人ひとり
の学会員の心の中で、彼らの理想を体現する「偉大な指導者」として息づいているのだ。

 実は、この池田センセイへの貢ぎ物が、国の政策にも影響した例があるという。ジャー
ナリスト・古川利明氏は、著書で以下のように述べている。


>  学会員は、この接遇センターで数万円単位の献金をすると、その御礼という形で、
> 献金額に応じて、学会が発行する金券が渡される。そしてこの金券は、三色ステッカ
> ーの貼ってある信濃町商店振興会加盟の商店で利用できるというわけだ。
>  ちなみに、自民党から公明党に対する事実上の「国対費」として、十五歳以下の子
> 供を持つ世帯主と六十五歳以上で老齢年金の受給者などに一人あたり一律二万円支払
> われた「地域振興券」の発想の原点は、この学会発行の「金券」といわれている。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』より引用)


 この地域振興券は、平成11年(1999年)に七千億円もの国費を投じて、対象となる世帯
に配布された。この政策は、当初から税金の無駄使いとの批判も多かったが、公明党との
連立を模索していた当時の自民党が、その要求を飲んだことにより実現した。

 「天下の愚策かもしれないが、七千億円の国会対策費だと思って我慢してほしい」とは、
連立実現のために工作していた自民党の野中広務氏の言葉である(魚住昭著『野中広務
差別と権力』による)。

 カルトのバカげた個人崇拝に付随する慣行を、国の政策として取り入れるなど、「天下
の愚策」どころの話ではない。言語道断の愚行である。

 現在の創価学会は日蓮正宗と縁を切り、誰はばかることなく「代々の会長を神格化」す
るようになった。現在の創価学会会則では、池田大作を含めた第三代までの会長を「永遠
の師匠」に祭り上げ、なかんずく池田については「先生は、仏教史上初めて世界広宣流布
の大道を開かれた」などと持ち上げている。

 「仏教が世界宗教として発展したのは池田大作の功績だ」と言わんばかりの文言であり、
こんな与太を真に受けるのは創価学会員だけであろうが、池田をあたかも釈尊や日蓮と比
肩しうる人物であるかのごとく宣揚し、「絶対視」することにつながりかねない表現であ
る。池田への個人崇拝を教義の中核に位置づけたものといえよう。

 創価学会のような異常なカルトが、公明党を介して国政に影響力を保持している現状は、
どう考えても日本のために望ましいとは思えない。

 自民党には保守政党としての矜持を取り戻してほしいし、野党も「弱者を守る」という
革新政党としての理念を示し、創価学会のような搾取と人権侵害を行うカルトを国会の場
で糾弾してほしいものである。



補足

 本文中でもふれたように、創価学会は日蓮正宗の活動家僧侶たちの批判に屈し、聖教新
聞紙上で会長本仏論・池田本仏論を一度は否定した。
 だが、これで池田本仏論が創価学会から一掃されたわけではない。

 細井日達氏の次の日蓮正宗法主・阿部日顕氏は、就任当初、創価学会に対して融和的な
態度をとった。活動家僧侶たちはそれに反発し、昭和55年(1980年)7月「正信会」を結
成した。

 結果的に、この時は正信会の方が日蓮正宗から追われることになった。
 池田大作はこれに安堵したのか、再び増長し宗門をないがしろにするようになった。そ
して自らへの個人崇拝を創価学会内部に復活させたことは、本文に書いたとおりである。

 しかしその後、池田の暴言の数々が日蓮正宗首脳部の耳に入り、第二次抗争に発展する。
今度は、日蓮正宗・創価学会の双方とも引かず、ついに平成3年(1991年)11月28日、日
蓮正宗は創価学会に対して、破門を通告したのである(創価学会はこれを「魂の独立」な
どとうそぶいている)。

 本文中で引用した矢野絢也氏の『私が愛した池田大作』は、平成21年(2009年)に初版
が刊行されているが、その序章に「現在の創価学会は実質、池田氏個人を『末法の本仏』
と崇め奉る『池田大作一神教』である」と記されている。

 矢野氏が主張する様に、現在の創価学会では池田への個人崇拝が組織結束の要になって
いるのだろう。公式の位置づけでは、池田は「永遠の師匠」ということになっているもの
の、「池田先生は末法の御本仏」と信じる創価学会員は、今世紀に入ってもなお多いのだ。

 もちろん他人の迷惑にならないのであれば、誰が何を信じようが自由だが、連中は「唯
一の正しい宗教」を自称して、宗教などとは関わりを持ちたくない人にまで押しつけよう
とする。

 学会員の皆さんには、世間一般のほとんどの人は創価学会のような頭がおかしいカルト
になど入りたくないのだということをご理解いただき、特定の宗教の信者にならないこと
も、憲法が保障する「信教の自由」の範疇に含まれるのだということを、認識してほしい
ものである。

2018年1月7日日曜日

池田大作への個人崇拝の実態

 これまで述べてきたように、創価学会では池田大作名誉会長が〝末法の御本仏〟として
神格化され、信仰の対象に近い存在となっている。

 池田大作は、末端の学会員の前では理想的な指導者を演じてきた。創価学会の公式の教
義では、日蓮が〝末法の御本仏〟だが、実際に学会員たちが信奉しているのは、池田大作
というフィルターを通した日蓮の教えである。

 彼が外国の政府や大学から勲章や名誉学位を授与されると、聖教新聞では一面トップで
報じ、それを見た学会員たちはわが事のように喜び、誇らしく感じる。

 多くの学会員は池田大作の言葉を日蓮の言葉と同じように信じ、自らの理想像を彼に投
影し、心酔しきっているのだ。

 我が子が生まれた際に、男の子であれば「大作」や「伸一」、女の子であれば「伸子」
と名づける学会員も多い(池田大作が『人間革命』『新・人間革命』に「山本伸一」とし
て登場することから)。

 公明党の選挙運動を熱心にする創価学会員は多いが、それは政策への賛同や候補者の人
柄が信頼できるからというような一般的な理由からではなく、公明党が「池田先生が創設
した党」であり、その候補者は「池田先生が選んだ人」なので、投票すると「功徳になる
から」という者が大半である。

 このように創価学会員たちを熱狂させる池田大作への個人崇拝の実態について、関係者
が述懐している例をいくつが引用する。

 創価大卒の芸人、長井秀和氏の匿名での著作『創価学会あるある』には、学会員の信仰
姿勢が詳述されている。その中から折伏等の成果が上がらない時、学会員がどう振る舞う
か述べられた箇所を引用する。


> 第3代会長で名誉会長である池田先生が学会行事やイベントにくることは、学会では
> この上ない誉れである。そのため、日夜学会員が集まり、唱題をあげまくったり、折
> 伏に勤しんで通常より多くの成果を上げて、学会本部に報告するということをやる。
> 成果が上がらないときは、「先生と心が合っていないから、唱題もあがらないし、折
> 伏もできないんだよ。先生を求める気持ちが足りないんだ」とハッパをかけられ、鬼
> 気迫る勢いで活動をするというのが、学会員の思考、行動パターンである。現実的に
> は、地元の支部総会などに池田先生がくることはなかなかない。当日に池田先生のメ
> ッセージが届き、それを聞いて、会員はさらに活動に邁進するのである。


また、同書の別の箇所では、以下のように述べられている。


> 学会員は基本的な姿勢として、池田先生と心を合わせて、祈り、行動しようとする。
> 創価学会では、池田先生が大先輩であり、大先生であるので、先生の心と合わせて人
> 生全般に当たっていこうとするのだ。たとえば、女子部は子作りのときでさえ、「先
> 生のため、広布のために人材を産ませてください」と祈りながら営む……というのが
> 理想なのである。しかし、つい情愛に流されて学会内で不倫なんてこともある。宗教
> 者とはいえ、そこは人間。普通に楽しんでいる場合もあったりする。


 お笑い芸人が書いた本ということもあり、冗談めかして書かれている。だから、いくら
か割り引いて考える必要もあるかもしれないが、それにしてもキチガイじみている。こう
いう頭がおかしいカルト信者が日本中に数百万人もいると思うと、暗澹たる気分にさせら
れる。

 ジャーナリスト・山田直樹氏の著書『創価学会とは何か』にも、池田大作への個人崇拝
に関する逸話が紹介されている。創価学会の元幹部に取材したという、その内容を以下に
引用する。

>  池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動
> 演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女
> 子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。
> 「池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わ
> せ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯
> 子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。
> 先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。池田は〝見事だ。よくやった
> ね〟と満足げに言い、それを聞いて会員達はまた涙を流すのです。魚など一匹もいな
> いドブ池に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、〝ここには魚はいないのに、先生
> が餌付けすると鯉まで現れてしまった〟と会員達を感激させた例もあります」


 私は創価学会について書かれた本を何冊も読んだが、それらの中に「創価学会にも評価
すべき点もある」という肯定的な印象を受けたものは、ただ一つとしてなかった。先に引
用したように「頭がおかしい」と思うようなエピソードばかりだった。

 学会員はなぜ、おかしいと思わないのだろうか。こうしたバカげた実態を、当事者とし
て目にして来たにも関わらず、「創価学会は唯一の正しい宗教」と信じていられるのか、
本当に理解に苦しむ。洗脳の恐ろしさの実例とも言える。

 注意していただきたいが、滑稽な話が多いからといって、創価学会を甘く見てはならな
い。彼らの狂信やそこからくる反社会性は、尋常なものではない。しかも、彼らは日本中
いたるところにいる。

 洗脳されて、常識的な判断力を失ったカルト信者は、気に入らない相手には卑劣な嫌が
らせを平気で行なう。創価学会に「仏敵」認定されたために、苦しめられている被害者は
相当数いると思われる。

 ほとんどの創価学会員は、常識とは相容れない異常な個人崇拝に疑問を感じず、反社会
行為も厭わない連中である。表面的には「いい人」を演じていたとしても、彼らの本質は
危険なカルト信者であることを、心していただきたい。