2017年6月19日月曜日

池田大作在日説について

 2chなどネット上には、池田大作は在日朝鮮人、または帰化した元在日であるという風
説が根強くある。

 それによると池田の本名は成太作(ソン・テジャク)で、親の代に朝鮮半島から日本に
渡ってきたのだという。

 私は創価学会や池田大作について書かれた本を、それなりの数読んだが、この池田在日
説を裏づける記述は、ついぞ目にしたことがない。
 参考までに、池田の出自についての記述を代表的な創価批判本から引用する。


>  池田大作は昭和三(一九二八)年一月二日、東京府荏原郡入新井町大字不入斗のし
> がない海苔製造業者・池田子之吉、妻、一の五男として生まれた。
 (中略)
>  池田の家は子之吉の祖父の代から大森で海苔製造に従事し、かなり繁昌した一時期
> もあった。また、祖先は元禄時代に兵庫から千葉に移住した武士だという口伝えも残
> っているらしい(央忠邦『池田大作論』)。
 (溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』より引用)


 上記によれば、池田家は武士の末裔だという口承があるらしいことになっているが、そ
れはウソだという指摘もある。


>  池田大作は、昭和五十年頃、密かに自分の家系を調べ、家紋の由緒を詮索していた
> ことがあった。その頃、私に話したところによると、「池田家は武士の出で、北海道
> で手広く開拓事業をやっていた。その子孫が、大森に来てノリ屋を始めたのだ。鹿児
> 島に〝池田湖〟というのがあるが、我が祖先とかかわりがある。家紋や系図を調べる
> と、祖先は源氏の流れを汲む武士であったと、調べてくれた専門家が言っている……」。
>  だが、その後、私の調べた限りでは、これらは全くの作りごとであり、数代先まで
> 東京湾でノリ採集や漁師をしていた。由緒正しい血統書つきの平民の出である。
>  池田大作の出生や少年時代については、御用新聞記者・央忠邦氏の著作や本人の書
> いた随想文などで、極めて美化されている。
 (中略)
>  ところで、私の手元に池田大作の戸籍謄本がある。それには、「名『太作』を『大
> 作』と変更、昭和弐八年拾壱月伍日受付」と記入されてある。
>  池田大作は、生まれてから二十五年間〝タサク〟が本名であったのを、何らかの理
> 由で〝ダイサク〟に変えた。
 (中略)
>  貧乏で、目立たぬ子供だった大作は、しかし、その名前のせいで、仲間から「タサ
> ク、タサク!」と呼ばれて親しまれていたのである。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 溝口敦氏は、数多くの著作で知られるノンフィクション作家である。また山崎正友氏は
創価学会の元顧問弁護士であり、往時は共産党や他の新興宗教など、学会と敵対する組織
への調査の責任者だった。

 いずれも情報収集のプロと言っていい人物だが、その両者とも池田大作が在日、あるい
は元在日だとは述べていない。池田の出自にゴマカシがあるとすれば、「池田家は武士の
出」などと偽ろうとしたことくらいのようである。

 池田大作在日説は、真実とは言い難いと思う。しかしながら、火のない所に煙は立たな
いものだ。このような風説が、まことしやかに流布し続けている背景は何だろうか。

 一つには、創価学会が〝日本と韓国〟について言及する時、「日韓」ではなく、「韓日」
という表現をよく使うことが挙げられる。「創価学会 韓日」で画像検索すれば、該当す
るものが多数見つかる。

 特に有名なのは、創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」であろう。この石碑
には、日本を「小国」と呼び、韓国を「師恩の国」と述べる池田の詩が刻まれている。

 創価学会および池田大作が、ここまで韓国を立てるのは、学会員には在日が多いので、
彼らにおもねっているのではないか。在日の学会員が多いことは、池田在日説が広まっ
た、もう一つの背景でもあろう。

 『人間革命』第五巻に、昭和26年(1951年)6月10日、創価学会の本部婦人委員として
52名が選抜され、新宿のフランス料理店で会合が開かれたことが記されている。
 この時選ばれた婦人委員の中には、在日朝鮮人の女性もいたという。


>  会合の雰囲気は更に高潮した。一人の朝鮮の婦人が立ち上がった。柳沢礼子という
> 名の中年の純真な婦人である。額は輝き、なかなかの元気ものである。
> 「私は、はじめて故国の不幸が、何に原因しているかを教えていただきました。それ
> は、先日の常泉寺で行なわれた会長推戴式の時です。
 (中略)
>  どうか先生、わたくしたちの同胞を救ってあげてください。お願いいたします。そ
> のためなら、この私にどんなことでもお命じください。同志の皆さまも、どうかよろ
> しくお願いいたします」
>  この切々とした婦人の訴えは、並みいる人々の胸に惻々と迫った。――かつて、あ
> る学者がいった。力なき空転の有名なる愛国者あり、無名の命がけの真実の救国者あ
> り、と。
>  戸田は柳沢を傍に招いた。そして、涙ながらの彼女と手をとって握手した。


 この会合についての記述で、戸田城聖以外で名前を記されているのは「柳沢礼子」だけ
である。創価学会では、その創成期から在日の会員の存在感が、決して小さなものではな
かったことがうかがえる。

 また、創価学会が池田を宣揚するために出版した『池田大作の軌跡』に、韓国で宗教社
会学を研究する済州大学教授・趙誠倫氏が、日本で創価学会について調査研究を実施した
ことが記されている。

 同書によると、趙教授は、韓国で布教活動を行った日本の新興宗教の多くが、結果とし
て上手くいかなかったにもかかわらず、韓国SGIは成功した理由を調べるために、平成
18年(2006年)に交換教員として日本に赴任し、在日コリアンの学会員に面接して調査を
行ったという。以下、同書から引用する。


>  ある在日の学会員の近所に、韓国人の男が引っ越してきた。
>  日本に来たばかり。祖国の言葉で話がはずんだ。男が土産話を始めた。
> 「この前、韓国で聞いたんです。実は、日本には、すごい人がいるんですよ。韓国の
> ことを『日本の兄の国』『文化大恩の国』と称えているんです」
>  なんという名前だったか、必死で思い出そうとしている。
>  学会員は吹き出しそうになった。
> 「それは、僕の師匠ですよ!」
>           *
>  面接調査を終えた、済州大学の趙。いくつかの注目すべきポイントがあった。
>  第一に、学会の大衆性。
>  創価学会は国籍の区別なく、苦悩にあえぐ大衆を救済してきた。学会の組織は、在
> 日コリアンが日本で生き抜く上で、他の在日コミュニティーよりも重要な意味があっ
> た。
>  第二に、社会意識の向上。
 (中略)
>  第三に、池田会長の存在。
>  精神的な支柱である。朝鮮半島への認識にしても、これまでの日本人とは、完全に
> 発想が逆転している。日本では他に類を見ない指導者である。
>  ある時、趙は、在日三世の男子学生に取材した。彼は「池田会長に続き、韓日を結
> ぶために働きたい」と胸を張った。
 (『池田大作の軌跡Ⅲ』より引用)

 ※ 「池田会長」とあるが、池田大作は創価学会の名誉会長であると同時に、SGIの
  会長でもあり、上記ではSGI会長としての立場に重きが置かれている。


 創価学会には、在日にとって「他の在日コミュニティーよりも重要な意味」があるのだ
という。確かに創価学会の政治部門である公明党は、これまでに何度となく外国人参政権
法案を国会に提出するなど、在日の代弁者として行動してきた。

 元公明党参院議員・福本潤一氏は、著書『創価学会公明党「金と品位」』で、「外国人
の参政権問題は、池田名誉会長からの〝特命〟だった」と明かしている。

 公明党の山口那津男代表は、佐藤優氏との共著『いま、公明党が考えていること』で、
創価学会・公明党の性格について説明している。同書で山口氏は、自民党が「国民政党」
を標榜していることと対比して、公明党について以下のように述べている。


>  公明党の場合、自民党とは違って「国民」という言葉は使わず「大衆」一本です。
> 先ほど申し上げたとおり、「国民」という言葉には日本で暮らす一部の人を排除する
> 要素があります。公明党が一緒になって戦うのは「国民」ではなく、あくまで「とも
> に暮らす大衆」である。


 山口氏のいう、国民から排除される「日本で暮らす一部の人」とは、どのような人たち
のことだろうか。同書において山口氏は、学生の頃、創価学会の集会に参加して受けた印
象を、次のように振り返っている。


>  在日韓国・朝鮮人も含め、創価学会には実にさまざまな人がいます。そういう人た
> ちが一堂に集まって座談会を開き、「今日は一つためになったな」「今日はこういう
> ことを決意して明日からがんばろう」と語り合う。創価学会とは本当にすごい場だと
> 思いました。 


 創価学会・公明党は「国民」ではなく、在日韓国・朝鮮人も含めた「ともに暮らす大衆」
と「一緒になって戦う」のだと、公明党党首が明言しているのである。

 日本国憲法第43条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」
と規定している。山口氏の主張は、公党の党首としていかがなものかと思うのは、私だけ
ではないだろう。

 創価学会が依然として、人権侵害そのものとも言える強引な折伏を、日本国民に対して
続けている事実を見ると、山口氏の言う「ともに暮らす大衆」の中には、学会員以外の一
般の日本人は含まれていないのではないかと、憂慮せざるを得ない。
 公明党員=創価学会員は、いったい誰に対して「戦い」を挑むつもりなのだろう……。

 以上でおわかりいただけたことと思うが、『人間革命』をはじめとする創価学会の出版
物を読むと、学会には〝在日のための互助組織〟という一面があることは明白であり、し
かも彼らは、そのことを隠そうともしていない。

 それとも学会関連の出版物を読むのは、どうせ創価学会員だけだと思って、高を括って
いるのだろうか。

 上述以外にも、かつての創価学会員が、折伏の際に他人の住居に押し入り、謗法払いと
称して、神棚や仏壇を壊したり燃やしたりしたことが語り継がれていることや、現在でも
少なくない数の創価学会員が、「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」などと言っていることが、
〝この人たちは、普通の日本人とは違う〟という印象を与えているのだろう。

 創価学会のこのような体質が、〝在日のための宗教〟というイメージを生み、トップで
ある池田大作も日本人ではないのではないか、という噂が拡がる下地になったのである。
 


補足1 池田大作の実家の信仰について

 池田大作の実家は真言宗の檀徒だった。池田の父親・子之吉と兄・喜一の墓は、真言宗
の寺院にあったが、それでは都合が悪いので、後に学会の墓を作ったという。


>  大作の父・子之吉は生前、創価学会(日蓮正宗)とまったく関係がなかった。だか
> らこそ、いまなお学会からみたら邪宗の真言宗の蜜嚴院に墓があるわけだし、また、
> 喜一は弟、太作の戸田城聖との出会いや日蓮正宗入信(四七年八月)の約二年半も前
> にビルマで亡くなっている。にもかかわらず、後年、池田大作はそんな二人を勝手に
> 創価学会の墓にいれ、同時に二人の法名も蜜嚴院の子之吉=浄徳清道信士、喜一=忠
> 顕院英徳勝行居士とは別の子之吉=種田院法子日実居士、喜一=歓喜院法住信士とし、
> ここ高尾墓園の黒御影石に刻み込んでいたのだった。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)


補足2 池田大作の詩作

 創価学会が出版している池田大作名義の著作のほとんどは、ゴーストライターによるも
のと言われているが、詩や短歌については池田自身が作ったものもあるようである。

 また、『聖教新聞』の「寸鉄」欄も、元気な頃は池田が書くことが多かったらしい。
 若い頃の池田は、かなりの筆まめだったという。短い文章程度ならば、自作できたのだ
ろう。


補足3

 本文で述べた通り、私は池田在日説について否定的見解を持っている。この件について
は、説得力のある考証がまとめられているウェブサイトが複数あるので、上記だけでは納
得できない方は、そちらもご覧いただければと思う。
 以下のサイトは情報量が多く、参考になった。

 池田は朝鮮人か?