2018年3月18日日曜日

清貧の人? 池田大作

 創価学会は、財務や広布基金などの名目で莫大な金を信者から集めている他、聖教新聞
や大白蓮華などの定期刊行物、『人間革命』『新・人間革命』に代表される池田大作名義
の書籍でも多額の売上金を得ている。

 創価学会を長年にわたり取り仕切ってきた池田大作は、いったいどれほどの収入を得、
どのような暮らしぶりをしてきたのだろうか。
 このことについて、池田本人はかつて週刊誌の取材に対して以下のように答えていた。


> 「私の月収は、聖教新聞社主としての月給ですが、昨年の三月まで十五万円(手取り
> 約十二万円)で、家には八万円を渡しておりました。
>  多少きゅうくつでしたが、昨年の四月から月給二十万円(手取り十五万七千円)を
> もらうようになり、家には十万円を渡すようにしております。
>  金と人事の面が乱れるのは間違いのもとだと私は考えていますから、金銭について
> はもっとも潔癖にしています。
>  このほかの私の収入は原稿料だけで、昨年は五冊の単行本を出して印税六百万円を
> いただきました。
>  しかし、この六百万円の使いみちは、①公明党への寄付、②海外旅行の費用、③遺
> 族の生活保護(注・幹部や理事室遺族への仕送りと、会員の交通事故死などの場合の
> 見舞金)などでございます。
>  これで、いっぱいでございます……。忘れておりましたが、たとえばインドの救ラ
> イ援助の五十万円、北海道の丹頂ヅルに十万円(注・天然記念物の保護資金)の寄付
> ……といったものもございます」
 (『週刊現代』1965年9月30日号より引用)


 引用が事実ならば、当時の池田は手取り十数万円で、妻と三人の息子を養っていたこと
になる。この記事から15年後、池田大作は当時はまだ毎日新聞の記者だった内藤国夫氏の
インタビューに応じ、同様の質問を受けている。


> 内藤 (前略)ただ、学会の現状をきびしく批判している宗門僧侶の中には、「創価
> 学会は宗教団体ではない。ネズミ講と同じ金集め集団である」と極言する人もいるの
> ですよ。池田大作さんは宗教人ではなく、金儲けの上手な人だ、とまで酷評して。も
> っともそういうご僧侶も、創価学会のご供養をなんらかの形で受けているのを思えば、
> 矛盾も感じますけど。どうですか。反論があれば、どうぞ反論を。
 (中略)
> 池田 それから金儲けということですけれども、私個人の財産としては、家が一軒あ
> るのみです。創価学会のお金を私的に使った覚えはまったくございません。学会員か
> らいただいた、寄せられたお金は、すべて学会員のため広宣流布のために使わせてい
> ただきました。ネズミ講と同じといわれようとは思ってもみませんでした。無念です。
> もし、本当にそうであるといわれるなら、どこに根拠があるのか、むしろお教えいた
> だきたいくらいです。
 (月刊『現代』1980年4月号より引用)


 また、同じインタビューで内藤氏から著作の印税について訪ねられた際、池田はこう答
えている。


> 池田 計算してみないとわかりませんが、相当な額にはなると思います。これは私の
> 力で、というよりみなさんが買ってくださるおかげですから。したがって聖教新聞社
> からの出版物の印税は、いっさいいただいておりません。それ以外の出版社の場合は、
> いちおういただきますが、税金を払った残りは大学や学園に寄付しております。


 こうした池田の述懐がすべて事実なのであれば、まさに清貧の指導者として称賛される
べきであろう。

 だが、これまで当ブログでみてきたように、池田大作という男は、何から何までウソと
インチキで塗り固めたような化け物じみた俗物である。

 著作による収入について「私の力で、というよりみなさんが買ってくださるおかげ」な
どと殊勝げなことを言っているが、そもそも他人に書いてもらったものを自分の名前で世
に出しているのであり、池田の力で書いたものではないのだから、白々しいにも程がある。

 しかも池田は元々、戸田城聖が経営していた高利貸しの営業部長として実績を上げたこ
とから成りあがってきた男である。そんな人間が、金銭についてだけは潔癖ということな
ど、あろうはずがない。

 池田大作は「みんなは公私混同、公私混同と言うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法
に私はないよ」と、語ったことがある。

 これは無論、池田が悟りを開いて無我の境地に至ったという意味ではない。その言わん
とするところは、創価学会という「公」はすべて池田の「私」と一体のものだ、という意
味なのである。

 実際、池田大作による教団の私物化は、相当ひどいものだったらしい。上記のインタビ
ューについても、内藤氏は続報で以下のように書いている。


>  池田大作氏自身は、私のインタビューで「個人の財産としては、家が一軒あるのみ。
> 創価学会のお金を私的に使った覚えはまったくない」と強調した。私は裁く立場にな
> く、答弁のありのままを原稿にした。しかし、内情を知る学会幹部から「ウソ八百も
> いいところ」と、新たな極秘情報が、多数寄せられるのである。
>  創価学会は宗教法人として税制面でかずかずの優遇措置を享受している。その有利
> な立場を最大限に利用して、用地の取得、墓地造成や会館建設、施設拡充と、巨万の
> 富を成しもした。しかし、免税などの優遇措置だけではあきたらず、税務署の摘発を
> 免れるため、会計帳簿や財産台帳のつくり直し、改ざんが、しばしば行なわれてとい
> う。それも千億円を超す巨大なやりくりとか。池田大作氏にしても、美術品そのほか
> の創価学会財産の私物化は目に余るものがあるそうな。
 (月刊『現代』1980年7月号より引用)


 内藤氏が池田にインタビューを行った昭和55年(1980年)は、創価学会の元教学部長・
原島嵩氏と元顧問弁護士・山崎正友氏という二人の大物幹部が造反して、池田大作への批
判を開始した年だった。

 原島氏は他の6人の同志とともに、『週刊文春』1980年6月19日号から「創価学会最高
幹部七人の内部告発」と題した連載を開始した。

 この連載は当初、執筆者全員が匿名だったが、創価学会が名誉毀損で告訴したことを受
けて、代表者の原島氏が名乗り出たのである。

 原島氏は、他の6人が匿名のままである理由について、内藤国夫氏との対談で「残念な
がら学会は非民主的体質。累が家族や親族、友人に及ぶので」と答えている(『週刊文春』
1980年7月24日号)。

 その内部告発の第2回は、「池田大作はこれだけ学会財産を私物化している!」と題さ
れたが、その中に先に引用した『月刊現代』での内藤氏によるインタビューでの、池田
の受け答えを意識して書かれたと思しき記述がある。


>  学会出版物の印税は、全額聖教新聞社に寄付され、外部の出版社から出した書籍の
> 印税は、池田名誉会長の個人収入になる、とのことである。しかし、池田名誉会長は、
> 人に会った折りに、
> 「今日は、私が印税でおごってあげる」
>  といわれる。しかし、〝おごってあげる〟といわれた折りのツケの大部分は、聖教
> 新聞社に、たまには外部会社の交際費にまわされていることを私達は知っている。
 (『週刊文春』1980年6月26日号より引用)


 聖教新聞社は、独立した法人でなく創価学会の一部門である。宗教法人でも、出版事業
のような収益事業は法人税の課税対象になる。

 池田大作の個人的な支出を経費に計上し、会計上の利益を少なくすることで、法人税の
納税額を減らしていたのであれば脱税である。

 また、このような池田個人への金銭的な便宜供与は、本来所得税の課税対象となるべき
「所得」とみなされるべきであろう。

 この記事には、池田大作個人のために使われている金額は「実質的には支出の二割強で
はないか」と、学会本部の経理担当者が分析したとの記述もある。

 多額の「財務」で潤う創価学会は、間違いなく日本一の金満教団である。その支出の二
割とは、いったいどれほどの金額になるのであろうか。

 残念ながら創価学会は、経理に関する情報を一切公表していないので、「支出の二割」
を算定することはできないが、常人の理解を超えた巨額であろうことは想像がつく。

 冒頭で引用したような池田の清貧ぶりを強調する話は、創価学会内部での口コミでも広
められ、多くの学会員は「池田先生がたくさんのお金を広宣流布のために寄付してくださ
っているのだから、自分たちも当然、できる限りのお金を出さなければならない」と思い
込まされている。

 末端の学会員たちが、生活を切り詰めて貯蓄した金を差し出した財務や、「マイ聖教」
と称して新聞を一世帯で何部も取ることにより実現されている聖教新聞社の売り上げは、
実際には、池田大作をはじめとする本部の幹部たちの贅沢な暮らしの原資になっているの
にである。

 外部の人間には理解しがたいことだが、学会員の中には、無理してでも多額の財務をす
ることにやりがいを感じる者もいるという。他の学会員と金額を競いあって、勝つことを
目指す者もまでいるらしい。財務で潤っている本部職員の思う壺ではないのだろうか。

 誰がどう考えてもインチキ宗教だと思うのだが……。
 信教は自由なので、当人が幸せなのであれば、私が口出しすべきことではないのかもし
れない。だが、このような銭ゲバカルトに私は入りたくないので、くれぐれも勧誘だけは
しないでいただきたい。


補足

 創価学会が、外郭出版社の一つ鳳書院から出版した書籍に『宗教はだれのものか』とい
うものがある。

 この本の主な内容は、週刊誌等による報道や山崎正友氏らの脱会者による批判に対して
の自己弁護であるが、その中に本文中で触れた『週刊文春』での連載「創価学会最高幹部
七人の内部告発」について言及した箇所がある。


>  告訴された山崎は、学会を牽制するため同年六月から九月にかけて、週刊誌上に
> 「創価学会最高幹部七人の内部告発」と題する〝覆面手記〟を装う記事を連載させた。
> むろん、現実に七人の最高幹部が存在するわけではなく、山崎がひとり芝居を演じた
> のである。

 ※ 「告訴された山崎」とは山崎正友氏のこと。山崎氏は、創価学会を脅迫して金を脅
  し取ったとして恐喝罪で告訴されていた。後に実刑判決を受け、服役している。
   なお山崎氏は、この件について「創価学会の集団偽証による冤罪」と主張していた。


 本文中でも述べたが、当該連載は当初は覆面手記という形をとっていたが、連載中に執
筆陣の代表者である原島嵩氏が名乗り出ており、『宗教はだれのものか』の記述は嘘であ
る(原島氏の同志であった匿名の六人の中に、山崎氏が含まれていた可能性は高いと思わ
れる)。

 このように、創価学会による自己弁護には欺瞞が多い。裁判で勝った時だけ聖教新聞で
大きく書き立て、負けた時は一切その記事を載せないインチキ団体なのだから、当然のこ
とではあるが。