2018年4月22日日曜日

池田大作は本当に平和主義者か?

 平和主義者として、世界的に著名であるらしい池田センセイ。創価学会は、池田センセ
イのノーベル平和賞受賞を実現すべく、金に糸目をつけず様々な工作に取り組んできた。

 ほとんどの創価学会員は「池田先生は世界平和のために尽力されている」「創価学会は
平和の団体」と信じている。

 だが池田大作は、そもそも本当に平和主義者なのだろうか。批判者や脱会者への悪質な
嫌がらせを扇動してきた池田が、本気で平和を志向しているとは信じがたい。

 今回は、池田大作が本当に平和主義者と言えるかを、その「本音」と「建て前」を探る
ことにより検証を試みる。

 『池田大作 名言100選』なる本に、彼の平和についての考え方の「建て前」を端的に示
した文章があるので引用したい。

 『池田大作 名言100選』は、偶数ページ(見開き右側)に池田の著作から引用した「名
言」が引用され、奇数ページ(見開き左側)に、それについての解説を記すという体裁に
なっている。

 ただし、「名言」をどの著作から引用したかは記されておらず、かなり不親切である。
 前置きが長くなったが、この本に記された池田の主張する「戦争と平和」は、以下のよ
うなものである。


 【戦争についての「名言」】
> 戦争は絶対悪

> 戦争ほど、残酷なものはない。
> 愚かなる指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

 【解説】
> いかなる戦争肯定論も断じて放棄すべきである。戦争は絶対悪であり、人間生命の尊
> 厳への挑戦である。

> 戦争等いうものは、人間の狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状態に追い込むこ
> とを忘れてはならない。(以下略)


 【平和についての「名言」】
> 平和を考える

> 平和ほど、尊きものはない。
> 平和ほど、幸福なものはない。
> 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

 【解説】
> 平和とは、単に、戦争や紛争がない状態をいうのではない。人権が尊重され、民主主
> 義の精神が国民に根づき、その社会に生きゆく人々が自由を享受し、安心できる生活
> を営んでいるかどうか、そこに平和の内実がある。

> 平和とは、間断なく起こる問題と対峙して、断じて対話を選択し、それを貫き、行動
> していくなかに、築かれていくものである。(以下略)

 ※ 戦争についての「名言」は『人間革命』第一巻、平和については『新・人間革命』
  第一巻の冒頭からの引用である。


 まるで聖教新聞のテレビCMのような、ご立派で欺瞞に溢れたキレイゴトである。実際
に創価学会がやってきたことと、まったく逆ではないかと憤りを覚えざるを得ない。

 創価学会員は反社会的な教義を盲信して、「狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状
態」に追い込まれ、人権侵害そのものの強引な勧誘を行い、信教の自由・言論の自由を否
定し、罪なき人々から「安心できる生活」を奪ってきた。

 そして、学会員たちがそのような行動をとってきたのは、指導者である池田大作が「仏
法は勝負、勝つためには手段を選ぶな」「脱会者は自殺に追い込め」などと扇動したから
にほかならない。

 いかに偽善的なキレイゴトで取り繕ったところで、そうした過去は消せないし、何より
も創価学会員の反社会的な行動パターンは、現在もなお変わっていないのだから、上辺だ
けを飾ったところで焼け石に水であろう。

 池田大作の平和主義が、口先だけのものであることの証拠をこれから示す。
 創価学会には、関連企業の社長を集めた「金剛会」という会合があった(「社長会」と
もいわれる)。

 この会合は非公開であり、しかも創価学会のなかでも上層部、言い換えれば「搾取する
側」の集まりだったことから、池田大作もそこでは表に出せない「本音」を語っていた。

 後にこの「金剛会」の記録が外郭企業の一つから流出し、創価学会から脱会して批判者
に転じた松本勝弥氏によって出版された。それが『池田大作言行録』である。

 『池田大作言行録』には、昭和43年(1968年)2月10日の会合における池田発言として、
以下の記述がある。


>  倉石発言の問題も自民党の選挙対策だ。日本海沿岸の漁民は出漁出来なくて困って
> いるし、本当に軍艦を欲しがっている。まさか総理が言う訳にもいかず、次回には閣
> 僚にならない倉石が発言した。日本海岸の漁民の票を押さえた。そこの機微を考えな
> ければならない。戸田先生がいれば大賛成だ。今は賛成するわけにはいかないが、漁
> 民が外国の軍艦にいじめられているのをだまっている手はない。国民全体の意思がそ
> ういう方向にむく様にもっていかなければならない。倉石発言は良いとする訳にはい
> かないが、自民党の連中は皆そう思っている、又この発言もサンケイの記者一人にし
> たのであって公式の発言ではないから、首にする必要はない。国民の総意で国防意識
> をもたせるようにしなければ駄目だ。


 この池田発言は、当時の時事問題が背景となっている。50年も前の社会事情については、
大半の方はご存知ないと思うので簡単に説明する。

 昭和43年(1968年)1月23日、北朝鮮がアメリカ海軍の情報収集艦プエブロを拿捕した。
その二日前には北朝鮮の特殊部隊が韓国に潜入し、朴正煕大統領暗殺を企てた青瓦台襲撃
未遂事件が起こったばかりであり、米ソ両超大国は艦隊を派遣、日本海は準戦時下ともい
うべき緊迫した状況となった(プエブロ号事件)。

 日本の漁船が軍艦の追尾を受けるなどの事件も起こり、日本海沿岸の漁業者は出漁でき
ない苦境に陥ったのである。水産庁から米ソ両国に対して、日本の漁業者の安全操業への
配慮を求める要請がなされたが、そんなことで両大国が矛を収めるはずがなかった。

 この事態を受けて、同年2月6日、当時の農林大臣・倉石忠雄氏は閣議後の記者会見で、
「水産庁長官が米ソ両国に安全操業をお願いしなければならないようなことでは……。や
っぱり軍艦や大砲がなければダメだ」などと発言した。これが「倉石発言」である。

 この発言を野党は「軍備主張は憲法違反だ」と問題視、倉石氏の罷免を要求し、国会で
の審議を拒否した。新聞各紙も批判的な論調をとった。

 この件について、公明党も倉石大臣罷免を求める声明を発し、聖教新聞も「我々は戦争
に絶対に反対する」と題した社説で批判した。

 【公明党の声明(抜粋)】
>  一、倉石発言は、佐藤内閣の本質と軌を一にするものであり、同時に、国務大臣と
> しての憲法尊重擁護の義務違反として、断固農相のひ免を要求する。
 (『朝日新聞』昭和43年(1968年)2月10日付より引用)


 【聖教新聞 社説(抜粋)】
>  今日、この憲法への毀誉褒貶はどうあれ、それが戦争を憎み、平和を欲する国民の
> 心の支えになってきたことを我々は疑わない。その点で、倉石農相の発言は、国民の
> 声を無視し、裏切るものとして、厳重に抗議し、その責任を徹底的に追求せざるをえ
> ない。
 (『聖教新聞』昭和43年(1968年)2月11日付より引用)


 この当時の公明党は、池田大作の完全な支配下にあった。その公明党が出した声明の内
容にしろ、聖教新聞の社説にしろ、池田の了承を経たものだったはずである。

 創価学会・公明党は「建て前」としては、倉石発言を全否定する姿勢をとったが、池田
大作の「本音」は、先に引用したとおり「今は賛成するわけにはいかないが、漁民が外国
の軍艦にいじめられているのをだまっている手はない。国民全体の意思がそういう方向に
むく様にもっていかなければならない」というものだったのである。

 なお、倉石氏は昭和43年2月23日に農林大臣を辞任し、それを受けて野党も国会での審
議拒否をやめた。倉石氏は辞任後の記者会見でも自説を曲げず、軍備増強の必要性を訴え
続けた。

 倉石氏は左傾したマスコミから批判を受ける羽目になることを承知の上で、苦境にある
漁民を思い、国家のあるべき姿を見すえて、軍備の必要性を訴えたわけだが、池田大作は
自分の本当の意見を隠して、世間の歓心を買うために「平和主義者」の仮面を被ったわけ
である。池田の偽善者ぶりがよく表れている。

 今にして思えば、この時、倉石氏の提言を真摯に受けとめて、日本海沿岸の軍備を増強
していれば、その後の北朝鮮による拉致事件も未然に防ぐことができたのかもしれない。


 池田大作の軍事に対する本当の考え方を示した資料がもう一つある。アメリカの駐日大
使を務めたエドウィン・ライシャワー氏の記録に、池田大作と面会した際のことが書かれ
ている。当該の記録は以下のとおり。


 1965年11月13日
>  このところ続けている日本人との「対話」の一環として、創価学会の池田大作会長
> と二時間ほど話し合った。池田はつとめて愛想よく接してくれ、こちらもいい関係を
> 築いて彼の考えに影響を与えたいと思うので、会談はスムーズに運んだ。だが、彼も
> その組織全体も、国際世界の諸問題や政治については驚くほど理解に欠けている。
 (E・O・ライシャワー/ハル・ライシャワー 共著
   講談社学術文庫『ライシャワー大使日録』より引用)

 1966年2月12日
>  創価学会の池田会長と二時間半の会談。今回は(三ヵ月前にも会っている)、こち
> らが先方の豪華な本部へ足を運んだ。池田は、人払いしてじっくり話をした。この前
> 会ったときとはまったく違い、アメリカのベトナム政策を強く支持し、日本の再軍備
> を力説する。前回の曖昧な態度から一転して、かなり人種差別的、権威主義的な傾向
> が見て取れた。大きな影響力となりうるこのような集団の考え方が、どのようにして
> 形成されるかは興味深い。彼が好ましい方向へ進むよう、影響を与えるべく努力を惜
> しまないつもりだ――たとえば原爆反対など。
 (前掲書より引用)


 『ライシャワー大使日録』において、池田大作について言及されているのは、上記の二
箇所である。池田の「人種差別的、権威主義的な傾向」について興味を惹かれるが、この
本には、残念ながらより詳しい記述はない。

 はっきりしているのは、昭和41年(1966年)にライシャワー大使と再開した際に、池田
が「日本の再軍備を力説」したということである。


 『池田大作言行録』及び『ライシャワー大使日録』という信頼できる資料からは、池田
大作は「本音」の部分では、軍事力を全否定していたわけではなかったことが見て取れる。

 池田大作は、多くの創価学会員が信じているような、絶対平和主義者ではない。池田の
「平和主義」は、ノーベル平和賞という栄冠を獲得するためのポーズに過ぎないのだ。