2017年4月22日土曜日

私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)④

 ※ 承前 私説〝五重相対〟

5、創価学会と釈尊の相対

  伝統宗派各派はもとより、創価学会のような胡乱な新興宗教までもが依拠する法華経
 をはじめとする大乗経典は、実際には釈尊滅後、だいぶ後になって成立したものである
 ことは、当ブログでもこれまでに何回も述べたし、私が述べるまでもなく、仏教に多少
 なりとも関心のある方にとっては、もはや常識といってもよいことであろう。

  しかし、だからといって日本の伝統仏教を含めた大乗仏教が、釈尊の教えとまったく
 無関係という訳ではない。江戸時代に大乗非仏説を主張した富永仲基が、「迦文(釈尊)
 の文」と呼び、現在の仏教学においても、実際に釈尊が説いた可能性があると考えられ
 ている偈文があるので、以下に引用する。


   七仏通誡偈

  諸悪莫作 (諸悪作す莫し)
  衆善奉行 (衆善奉行す)
  自浄其意 (自ら其の意を浄む)
  是諸仏教 (是れ諸仏の教え)

 
  この七仏通誡偈の出典は『法句経』であるが、他の経典にも引用され、古来より仏教
 の大切な教えとされてきた。特に禅宗で重視され、一休宗純の「諸悪莫作 衆善奉行」
 の書は有名である。

  〝悪をなさず、善をなせ〟という教えは、誰も反対するものなどいない普遍的なもの
 であるはずだが、これに真っ向から反することを行っている、自称仏教団体が存在する。
 言わずもがなのことだが、創価学会がそれである。

  創価学会には、脱会者や勧誘に応じない者、彼らの非常識な振る舞いを批判した者な
 どに対して、組織的に陰湿で巧妙な嫌がらせを行う、広宣部・教宣部というセクション
 があることは、以前述べた通りである。

  また、彼らは折伏と称し、信教の自由を侵害する強引な勧誘を行い、選挙に際しては、
 替え玉投票や投票所襲撃事件など、悪質な違反を何度も行ってきた。過去には、選挙違
 反で逮捕された学会員に対して「法難賞」なるものまで授与していた。

  創価学会が、社会規範から逸脱した「悪」を実践する団体であることは明白である。
 私の個人的な経験からいっても、創価学会員には悪人が多い。

  他人の迷惑を顧みない強引な勧誘を行う学会員は何人も見てきたし、思い通りに勧誘
 に応じない相手を卑怯なウソで陥れ、そのウソがバレると「俺は誤解していただけだ。
 そもそもアイツが創価学会に入りさえすれば、そんな誤解はすぐに解けたはずだから、
 創価学会に入らない方が悪い」と開き直る者までいた。

  創価学会員のこのような邪悪な振る舞いは、「諸悪莫作」という、仏の教えに反して
 いることは明らかであり、創価学会こそが反仏法団体であることも明白である。

  学会員が〝自分さえ良ければよい。創価学会以外の社会全体のことなど考える必要な
 どない〟という態度をとるのは、どういう訳だろうか。そもそも仏教は〝無我〟を説く
 宗教である。それなのに学会員には、我執が強い人間が異様に多い。

  このことの背景として、創価学会の非仏教的な教えがあると思う。その典型例として、
 『人間革命』第三巻から、昭和23年(1948年)元旦における戸田城聖の指導を引用する。


>  なごやかな雰囲気のなかに、弟子たちは戸田の話に真剣に耳を傾けている。彼の話
> は、つねに道理のうえから、科学的に、真の仏法を理解させようとするものであった。
> 「地球が、宇宙の惑星の一つなら、われわれ人間も、おなじだ。宇宙のなかで、人間
> という一つのものだ。人間の活動といったところで、宇宙のリズムある法則から免れ
> ることは絶対にできない。このことを度外視して、いくら努力してもはじまらない。
> ある場合は、一生懸命逆行している時もある。こうした微妙な一種の不調和が、生活
> に現われる時、人間は不幸を観ずるわけだ。このような法則を、生命という分野から、
> 根本的に事実として説かれているのが、大聖人の仏法です。
>  だから、これがわかってしまえば、我即宇宙であり、宇宙即我ということになる。
> いつか、どこかの科学者が、人間は一個の小宇宙なり、と言ったことをおぼえている。
> ……しかも、これは観念の世界にあるのではない、真実のこの世界にあるというので
> す。(以下略)


  上記引用で、戸田城聖は仏法というものを、あたかも物理法則か何かのように論じて
 いるが、これは果たして妥当だろうか。それに「我即宇宙であり、宇宙即我ということ
 になる」とあるが、このような〝我〟というものを否定し、〝無我〟を説いたのが本来
 の仏教ではなかっただろうか。

  比較的初期に成立した経典である『法句経』のパーリ語原典からの翻訳が、岩波文庫
 に収録されているので、関連部分を引用する。


>  「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかなる知慧を持って観
> るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
 (中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』より引用)

  ※ 引用中では「諸法非我」とされているが、一般的な漢訳は「諸法無我」。


  上記を読めば一目瞭然だが、釈尊の教えと『人間革命』が説く内容とは、まったく逆
 である(『人間革命』には、もっと直截に我欲を肯定している箇所もあるが、それにつ
 いての批判は別の機会に譲る)。

  我執を捨て〝無我〟の境地に至ることを目指す仏教とは正反対に、創価学会は我利我
 欲を無批判に肯定し、そればかりではなく道徳や常識といった社会規範を「世法」と呼
 び、軽視するが、それの一体どこが仏法だというのだろうか。

  日蓮も『一代聖教大意』で「外道は一切衆生に我有りと云ひ、仏は無我と説きたまふ」
 と述べている。創価学会の〝我〟を肯定する教えは、釈尊の教え、日蓮の教え、双方に
 違背するものであり、彼らの教義でもある内外相対(私説〝五重相対〟①補足参照)に
 より、破折されるべきものではないのだろうか。

  このことは、創成期からの学会幹部で公明党参議院議員を務めた石田次男氏や、脱会
 して批判者に転じた元副会長の福島源次郎氏も指摘している。

  これまで論じてきたように、創価学会の教義は支離滅裂であり、彼ら自身が過去に主
 張してきたこと、日蓮が説いたこと、法華経に説かれていること、釈尊が説いた仏教徒
 を名乗る者ならば誰であれ重視すべきこと、そのすべてと矛盾している。

  これほどまでに矛盾に満ちているにも関わらず、まったく何も疑問を感じず、「創価
 学会は唯一の正しい宗教」と信じ込んでいるのが創価学会員である。頭がおかしいとし
 か思えない。

  どれほどバカげた教えだろうが、他人に迷惑をかけずに信仰するのならば、とやかく
 論難する必要などないだろうが、連中は社会に迷惑をかけまくっており、看過できない。
 このような狂ったカルトの存在は有害無益であり、今後とも徹底した批判を加えていき
 たいと考えている。


補足

  『一代聖教大意』の日蓮真蹟は現存していないが、孫弟子にあたる日目による古写本
 が現存している(孫弟子とはいっても、日目は日蓮と直接の面識もあった)。